2011年8月25日木曜日

31才の1ヶ月前

Facebookで、
高校の同級生が、地元へ戻って農学をやる決断をした、
というスレッドを見た。
自分の人生、この先どうするかを考えさせらられた/る。

自分は、
何が好きか。
何をしたいか。

大金持ちになりたいのか。
憧れ(物理学者、人工知能の開発、ハッカー)を実現したいのか。
名声を得たいのか。
歴史に名を残したいのか。

ジョブズのようになりたいのか。

幾多の言語を操って世界中を旅してみたい。
ジョブズは世界を旅したんだろうか。
彼は大金持ちになりたいと思っていたのだろうか。

鉄拳チンミに「知好楽」という言葉を教わった。
楽しむことに勝るものはない、と。

古典の知識を得たい。
傑作と言われる書物の知識を得たい。

それで、どうする?
ベスト・ライフを送るか?
なにがベスト?
他人から羨ましがられればそれがベスト?

僕は人間で、有限な存在、です。
宇宙とセックスすることはできないだろうし、
他人の意識を料理してカレーを作ることはできないだろうし、

いつか死ぬだろうし、

蟻と会話することはできないだろうし(言語基体が違う、と思う)、
空の成分を精液に変えることはできないだろう。

上述の項目が実現可能だとしても、なにかしらの工夫がいるだろう。
その工夫の上で実現したとして、それは本当にやろうとしたことではないだろう。

神になりたいのかぁ?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E8%83%BD%E3%81%AE%E9%80%86%E8%AA%AC
全能の逆説 - Wikipedia

できないこと、を全能の力を持って実現すれば、その時点で全能ではなくなる、という
パラドックス。
自分が欲しいのはこんな言葉遊びじゃない。
自分以外が持ちあげられない石ならそれでいい。
自分にも解錠できない不可逆なロックが実現してもいい。

全てを成し得て、全てを回避できる力があったら何をする?
100億あったら何をする?
100億あったら人工知能作れるの?

まぁ、沢山の女とセックスはできるだろうけど、
100億を使って本当の恋愛が得られるかは知らない。

っていうか、本当の愛ってなんだ。

地元に貢献するのは素晴らしいことだ。
自分の生まれ地だから。

国って、その土地に生まれて、その範囲において同意できる人間の集まり、だとして、
領土争いとか、貧困とか、なんで起きるの?

道徳と利己的生存本能は相反しない。
なぜなら、利己的な生存本能も、利他的な行動も、全体としての種が存続するための
機能だからだ。

じゃ、なんでそんなことが目的になっているかというと、
きっと、「この」宇宙は常なる変化を望んでいるからだ。
いや、もしかしたら変化し続けて「しまっている」のかも知れない。
本当は、宇宙は変化し続けることが嫌で、イヤイヤ変化し続けていたりしてw

でもたぶん、一生かかっても全知全能にはなれないと思う。
いや、なれたらなりたいか?
スプリガンでは超古代テクノロジーを利用して神になろうとする人間がいたなぁ。

なれないとして。

まぁ、いい人生だった、と言って死ねるのならベターでしょうなぁ。
面白い人生だった、と。

やりつくせる、ということはない。だろう。
きっと、欲望には(この人生スパンにおいては)限りがなくて、
きっと人生の長さには収まらないだろう。
じゃ、どうやったって、何をどうしたって、
やり残した、って思いはできちゃうはずだ。

じゃ、やり残しを前提として、受けて入れて、
それでも、これだけはできたら、とりあえず人生畳んでもいいな、と思えるように
するにはどうしたらいいんだろ。

子どもも育ててみたいなぁ。
正確に言うと、育てることに興味があるんじゃなくて、
自分の遺伝子がどう振舞っていくかを観察することに興味があるんだけど。

プラネテスで言ってた、「本当の愛」って、何を指してるんだろ。

でも、でも、全てのことを成そうとして、あがきながら、悔いを残して死ぬのも、
僕の人生に許された自由だよな。たとえ家族が許さなくても神は許すわけだ。結果的に。
死んじゃったらしかたないもんね。
ごめんなさい、って感じだ。

だから、だから、

今、思いつく限り、面白いと、楽しいと思えることを、
精一杯やってみて、
ダメだって分かった時点で、
また違うこと考えてみて、
その繰り返しのうちに、何度か心の底から笑えれば、
「十分」、そう、じゅうぶんでしょうな!

足りちゃう。このレストラン「人生」の料理、美味しかったー、って言えちゃう。

計画性というものは、その面白いと思ったことを成すために伴っていればいい。

年収1000万、1億を36才ぐらいでなして、若い奥さん貰って、
スタンフォード中退してワールドクラスの100年企業つくる子ども作って、
でかいビルに住んで、
宇宙に行って、火星に行って、
木星に行って、
アンドロメダ銀河に行って、
でも、自分の知識がそこの星に適合しなくて、必要とされなくて、
「ああ、学者とか、色んな専門家連れてくれば良かった」
「見るだけかぁ、こんなところまでこれたのに」
とかって無力感感じて、
そんで、そんで…。

文章って素晴らしいなぁ。妄想って素晴らしいなぁ。なんでもできちゃう。
やりたい放題だ。

あ、そうか、僕らは生命全体として全知全能なんだ。
なるほどね。そうか。生命全体としては、全個体の総てにおいて、全知全能であれば、
それでいいんだ。
そうか、それで満足だったのかー、お前→宇宙さんのこと

えーと、じゃぁ、とりあえず、やったことないけど、やってみたかったことか、
今まで怖くてやれなかったけど、やっている人を羨ましがったことをやってみよう。

じゃ、とりあえず旅だな。

えーと、チベットに行って、偉いお坊さんに
「最高の人生とは何か、自分は何をすべきか」を聞いてこよう。

なにもなかったら…それはそれでいいさ。
そうだ。考えうる限りの、そして出来るうる限りのことをやって、
山を登るんだったら、「あの時こうしていれば」なんて余計なこと考えずに済んで、
登ることだけに集中できるもんな。→神々の頂上

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